「球の行方」(安岡章太郎)

「私」は何を勘違いしていたのか?

「球の行方」(安岡章太郎)
(「日本文学100年の名作第6巻」)
 新潮文庫

「日本文学100年の名作第6巻」新潮文庫

朝鮮から引っ越しして
東北の弘前で暮らし始めた、
子どもの頃の「私」。
学校での成績は
不思議と優秀であった。
その褒美に叔母から
新品のグローブとバットが
送られてくる。
「私」はそれを持って、
友達とともに
野球をしにいくが…。

一言で言えば「少年の勘違い物語」、
いや、「思い違いに気付いた
少年の成長物語」とでも
言うべきでしょうか。
「私」は弘前の学校に転校した当初、
自分を特別な存在と
勘違いしていきます。
国語の時間に教科書を
標準語で読めるのは自分一人、
講堂で単独の朗読をする
役目を言いつかる、
成績は苦手な体育まで甲がついてくる。
勘違いして当然です。

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今日のオススメ!

その優等生気分を一気に
打ち砕いたのが「野球」事件です。
これまでの経緯で、
彼は片田舎の「野球」を
なめきっていました。
「野球」は紳士のするスポーツ。
周囲はグローブもバットも
ろくなものを持っていない。
「野球」においても自分がおそらくは
優秀にできるであろう、と。

その甘い考えは広場に来て、
見事に粉砕されます。
そこに集まっていた子どもたちはみな
上手に野球をしていました。
グローブを持たない子もいるのですが、
それでも巧みに
ボールを処理しているのです。
「私」は仲間に入るものの、失態の連続。
ついに「私」は
グローブとバットを友人に貸し与え、
というよりは半ば取り上げられ、
その情けない姿を
通りかかった母親にしっかりと
目撃されてしまうのです。

「私」は何を勘違いしていたのか?
それはひとえに朝鮮弘前
違いなのではないかと思うのです。
朝鮮では当時、
日本人は支配者として
その地に君臨していたはずです。
弘前の家に訪れた物売りに対し、
ぞんざいな口をきいた「私」を、
母親は「ここは朝鮮じゃないのよ」と
たしなめる場面がありますが、
植民地で育った「私」には、その違いは
理解できなかったのでしょう。
だから朝鮮から「帰国」ではなく
「引っ越し」という表現になったのです。

「私」の勘違いは、おそらく
当時の日本人すべての勘違い
だったのではないかと思われます。
「私」が恥をさらしたように、
日本という国自体ももまた、
悲惨な結末を
その後に迎えたのですから。

かつて高校の教科書にも掲載された、
安岡章太郎の本作品。
考えさせられることだらけの、
味わい深い短編小説です。

〔本書収録作品一覧〕
1964|片腕 川端康成
1964|空の怪物アグイー 大江健三郎
1965|倉敷の若旦那 司馬遼太郎
1966|おさる日記 和田誠
1967|軽石 木山捷平
1967|ベトナム姐ちゃん 野坂昭如
1968|くだんのはは 小松左京
1969|幻の百花双瞳 陳舜臣
1971|お千代 池波正太郎
1971|蟻の自由 古山高麗雄
1972|球の行方 安岡章太郎
1973|鳥たちの河口 野呂邦暢

(2021.9.25)

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